明治維新から終戦までと特産品
釜無川、小深沢川、大深沢川、甲六川、鳩川、尾白川、神宮川、塩川、須玉川、小武川、大武川気候は標高差が非常に大きいので旧町村単位で大きく異なる。国による「次世代省エネルギー基準」によると、旧小淵沢町が最も寒く北東北地方並の気候で、それに次いで旧長坂・高根・大泉・白州・武川の各町村が南東北地方並の気候、旧明野村は日本一の日照時間を誇ることもあり東京などと同様の気候に分類されている。気象はさらに異なり、同一町村内においても天候の違いや降雨量・降雪量の多寡が生じることもしばしば見られる。2010年2月1日現在:49、314人
郵便番号は以下の通りである。2006年10月16日に変更。甲州市は、山梨県北東部に位置する市である。塩山市と東山梨郡勝沼町・大和村が合併して2005年11月1日に発足した。市域は、甲府盆地東部および東南部の山岳地帯から流れ出した複数の河川によって作られた複合扇状地からなる。その中でも勝沼扇状地は有名。市中部は笛吹川及びその支流の流域であるが、国道411号の柳沢峠より北は、多摩川の源流域である。 市域は南北に長く、国道411号が南北に貫く。市街地は市の西部にあり、市役所、代表駅である塩山駅等の施設が集中している。
ただし、公開されるのは、あくまでも集計して得られた統計のみであり、個人や世帯に関する個別のデータは厳重に保護されるべきとされている。同基本原則は、「統計機関が統計作成のために収集した個別データは、自然人又は法人に関するものであるかによらず、厳重に秘匿されなければならず、統計目的以外に用いてはならない。」としている。日本でも、統計法において統計の「理念」として、「公的統計は、広く国民が容易に入手し、効果的に利用できるものとして提供されなければならない。」及び「公的統計の作成に用いられた個人又は法人その他の団体に関する秘密は、保護されなければならない。」と規定されており、同基本原則と同趣旨のことが規定されている。道路法第5条では、「高速自動車国道とあわせて全国的な幹線道路網を構成し、かつ、次の各号の一に該当する道路」として、以下の各号を挙げている。
常陸国から配流された源清光の子孫が甲斐各地に拠り甲斐源氏として発展するが、市域では板垣郷に拠った板垣氏や一条郷に拠った甲斐一条氏や飯田氏、塩辺氏、小松氏らが勢力基盤とした。中世には一条や板垣らが治承4年には源頼朝の挙兵に呼応して活躍するが、頼朝によって排斥されて勢力は衰亡し、市域南部の稲積荘には加賀美氏や小笠原氏らが進出する。また、中世には市域南部の低湿地の開発が進む。戦国時代には武田氏が国内統一を進め、武田信昌は市域東部の川田へ居館を構え、石和市部宿と複合城下町を形成した。永正16年には武田信虎が古府中に躑躅ケ崎館を築き、家臣団を集住させて新たに城下町が形成された。古府中は信虎、信玄、勝頼と3代にわたり領国拡大を進めた武田氏の本拠地となる。天正9年には武田勝頼が韮崎に新府城を築き府中を移転させるが、武田滅亡により新たな城下町の建設は行われず、織田氏や徳川氏の統治時代にも府中として機能した。一条小山の甲府城築城は徳川氏の関東転封に伴い、豊臣氏の大名である加藤氏、浅野氏等に引き継がれる。甲府城は慶長5年に完成し、城下町も建設されて新府中が形成され、内郭部には武家が集住し、外郭部には町人地となる。古府中には商人町や職人町となる。甲府城下町は上府中26町、下府中23町で構成され、中心は人口の集中する下府中であった。町政は町奉行のもと、町人を代評する町年寄にあたる検断が町政運営を担い、各町を代表する長人がその指揮に従った。